この村で、ウイスキーが生まれる意味。〜スキーヤー・河野健児が見つめる野沢温泉〜
長野県の北部、雪深い野沢温泉村。
世界的なスキーリゾートであり、13の外湯が湧く湯治場として知られるこの村に、野沢温泉蒸留所はあります。
村の清冽な水を使い、世界で高い評価を得るジンを生み出してきた私たちは今秋、初めてのシングルモルトウイスキーのリリースを控えています。
このウイスキーを世に出そうとしている蒸留所を、村の人々はどのように見ているのか。
今回、一人の村人に話を伺いました。

河野健児さん。野沢温泉村に生まれ育ち、スキークロスのワールドカップ選手として12年にわたり世界を転戦した人物です。
世界を知り、村に軸足を置くこの人の目に、野沢温泉という土地と、そこに生まれた蒸留所はどう映っているのか。
村の側から見た物語をお届けします。
「なくなったら、二度と戻せない」祭りが育てる、人と自然のつながり

1月に行われる道祖神祭りでは、「楽生会道祖神委員長」を務め、同級生の先頭に立ち祭りを盛り上げた。

火のついた松明を抱える河野さん

毎年9月に行われる湯澤神社禮祭で仲間とお神輿を担ぐ河野さん
長く野沢温泉村を見てきた村民にとって、「この村らしさ」はどこにあるのか。河野さんの答えは、迷いのないものでした。
「やっぱり、自然の豊かさと、人とのつながりの深さですかね。自然の豊かさは日本中どこにでもあると思うんです。でも、人とのつながりが今もちゃんと機能している。そこが野沢温泉の大きな特徴だと思います」
その象徴が、300年以上続く道祖神祭りです。
河野さんを含む村の人々は、この祭りを単なる火の祭りとしては捉えていません。
祭りの社殿を作るのは、道祖神の森で用意される木々。
自然との接点を、祭りという文脈の中で今も保っているといいます。
そこで同級生や村の人たちと汗を流す——自然とのつながりも、人とのつながりも、祭りの中に息づいているのです。
そして、日本各地で祭りが担い手不足に消えていく中、それが今なお生きている野沢温泉。
河野さんは、そこにこの村のブランドの核心を見ています。
「やめてしまうことは簡単なんです。でも、これをやめたら野沢温泉のブランディングは崩壊すると思う。お金さえ積めばいいものはできますが、この祭り文化だけは一度なくなったら、いくらお金を積んでも二度と作れない」
世界を転戦してきた河野さんが、外から見たからこそ気づいた魅力もあります。
それは、新しいものを受け入れる「入り口の広さ」でした。
スキーで外に出て、外から村を見て、また帰ってくる人が多い。
だからこそ外来者に寛容な土壌があり、それがさまざまな文化を育んでいる、と河野さんは語ります。
数の時代から、質の時代へ。変わりゆく村の景色
夏の野沢温泉
村民と観光客が一緒に食とお酒を楽しむ
昔と比べて、野沢温泉はどう変わってきたのか。
世界からさまざまな人が訪れるようになったことは言うまでもない、と河野さんは前置きしつつ、意外な事実を口にしました。
観光客の数でいえば、むしろ昔のほうが多かったというのです。
「スキー場の入り込みは、ピークだった1993年が110万人。今年で47万人ほどなので、半分以下です。ただ、数の時代と質の時代だから、単純に比べようもないんですけどね」
日本の雪が世界的に再評価される今、人は増える一方だろう——その印象を、河野さんは静かに覆します。
変化の本質は、別のところにありました。雪のないグリーンシーズンの動きです。

七良兵衛珈琲の平原シェフ

食とお酒を楽しめる場所が増えてきている
「コロナ明けくらいから、食の文脈でかなり変わってきたと感じます。野沢温泉の飲食店のシェフたちが、食で野沢を盛り上げようという勢いを強めている。そこに蒸留所や昔から続く造り酒屋の日本酒など、いろんなものが合わさって、いい方向に行きそうな予感がすごくあるんです」
冬のスキー一辺倒だった村に、通年の可能性が芽生えている。
その手応えの裏側には、危機感もあります。
雪は年々減り、100年後に雪があるかどうかも分からない。だからこそ、新しいコンテンツが生まれることの意味は大きい、と河野さんは言います。
気づかなければならない危機感 フィールドに出るからこそわかる環境変化


変わりゆく中で、これからも残していくべきものは何か。
河野さんは再び、「自然と人との関わり、人と人との関わり」を挙げました。
そして、その関わりが失われた先にある未来を、誰よりも具体的に見ています。仕事で一年中、村の自然の中に身を置いているからです。
「野沢温泉のすぐ近くを流れる千曲川は、この10年で水量も減っているし、砂利が堆積して川自体の面積も狭くなっているんです。フィールドに出ない村の人には、たぶん分からない。でも、僕は10年ずっとその川に入っているから分かる。10年でこんなに変わるのか、というくらい変わっている」
その延長線上に、河野さんは重い問いを見据えます。
石油の利権で戦争が起きるように、いつか水をめぐって争いが起きかねない。そうなる前に、半永久的に水が湧き続けるような、自然との関わりを今こそ作るべきだ——。
AIやテクノロジーが進むほど、その対極にある自然や人とのつながりに、この地域だからこそ向き合うべきだと語ります。
「素晴らしいタイミングで生まれた施設だと思う」村と蒸留所の物語

「ノザワ缶詰工業」だった頃の施設内

当時の趣を残しつつ、野沢温泉蒸留所に生まれ変わった
ここから、話は蒸留所へと移ります。
野沢温泉村に蒸留所ができると初めて聞いたとき、河野さんはどう受け止めたのか。
その反応は、驚くほど自然体でした。
「『面白そうじゃん』くらいの感じでした。すでにビールを造っていたところもあったので、村とお酒の親和性があることはわかっていましたし『今度はウイスキーか』くらいの感覚でしたね。むしろ使っていない元缶詰工場を蒸留所に変えるのは、いい動きだなと思いました」
外から来た人が村でビジネスを始めることに、抵抗はなかったのか。
河野さんの見方は、村の実像に根ざしています。
約3,200人の村で、20代30代より上の既婚者の半分は、外から来た配偶者だといいます。
本当の意味での「ローカル」は、実はもう少ない。
外から来た人が、それぞれの視点で今の野沢を作っている——だからこそ、外の人が新しいことを始めることに、河野さんは違和感を覚えなかったのです。
また、当時彼は観光協会の会長を務めていたこともあり、村に蒸留所ができるのは今後世界に野沢温泉村のブランドを広めるチャンスだと感じたのだそう。
「2020年、コロナ禍の頃に、これからは『温泉とスキー』だけじゃなく、もう少し大きな枠で『水で回る村』というブランディングにした方がいい、と定めたんです。ちょうど同じ時期に蒸留所ができるという話だった。本当にタイミングが良かった。『水』と言っても、それまではコンテンツが弱かった。でも蒸留所ができたことで、その説得力が一気に増したんです」
「感謝の言葉しか、聞いていない」村人が感じる蒸留所の現在地
25歳厄年の皆さんと蒸留所の代表、蒸留責任者
25歳で樽詰めを行い、42歳になるまで熟成させる
実際に蒸留所ができてから、村との関係はどう見えているのか。
河野さんの答えは明快でした。
野沢温泉の水を使ったお酒を、世界に伝えられる。野沢菜や温泉饅頭では海外に持ち出せなかったが、ジンやウイスキーなら野沢を世界中に届けられる。
それが徐々に村の人にも伝わり、今では感謝の言葉しか聞いていない、と河野さんは言います。
その関係を象徴するエピソードが、厄年の樽詰めプロジェクトです。
25歳で厄年となった若者が200リットルの樽にウイスキーを詰め、彼らが42歳になった時に、その樽を開ける——。
時間をかけて熟成を行う過程をみんなで共有することが、確実に村の絆を深めていると河野さんは感じたそうです。
「美味しいお酒を造っている裏で、観光客には見えないこういうことを蒸留所がやってくれている。そこは、村の人もちゃんと見ていると思います」
かつて外国人として初めて村の同級会に迎え入れられ、道祖神祭りに参加した蒸留所の代表・フィル。
祭りの御神木を使ったジンを造り、売上の一部を祭りの運営に還元しているという行動で示すことで、村に根を張っていきました。
野沢温泉村の名前が世界へ届くことは、森を守ることにつながる

夏のブナ林
冬のブナ林
野沢温泉の名を冠したジンやウイスキーが、世界へ広がっていく。それを、河野さんは「喜ばしい」と率直に語ります。
しかし、その喜びには、彼ならではの視点が重なっていました。
「お酒が世界に出ていくことで、原料である水にフォーカスが当たる。さらに、その出発点である森にも目が向く。そうなると、森を守らないとこのウイスキーはできない、というストーリーになってくる。ひいては、野沢温泉の森が守られることになるんです」
村の自然を守るには、村の中の力だけでは足りない。
けれど、野沢温泉のウイスキーが世界に届くほど、その源である森を守る意識も広がっていく。それがめぐりめぐって、野沢の森を守ることにつながる——河野さんはそう考えています。
スキーが100年をかけて世界に「野沢温泉」を届けてきたことと、今の動きは重なる、とも言います。
「野沢温泉にスキーが入って103年目のシーズンが終わりました。その100年ほどで、スキーは世界へと広まっていった。それと同じ空気感を感じるんですよね。今はネットの力などもありますから、ジンやウイスキーはさらに早いスピードで世界に浸透していくんじゃないかと思います」
村が発展するためのキーワードは“良い塩梅”を知ること


蒸留所が野沢温泉により深く根付くために、これから大切にすべきことは何か。
河野さんの答えは、拍子抜けするほどシンプルでしたが、本質を突いていました。
「今やっているように、ちゃんと野沢のものを使って、美味しいものを世界に届ける。それだけ、ぶれなければいい気がします」
“単純なことを続ける難しさ”と河野さんは言い添えますが、それは村全体が抱えてきた教訓でもあります。
観光が盛り上がらなければ「盛り上げろ」と熱くなり、盛り上がれば今度は生活が圧迫される。
人は欲深く、もっともっとと行き過ぎてしまう。
だからこそ「良い塩梅を知る」ことが大切だと、河野さんは繰り返します。
「野沢温泉のいいものを使って美味しいものを届ける」という指標さえぶれなければ、蒸留所は村の重要なコンテンツとして育っていく、と。
10年後、20年後の未来に話が及ぶと、河野さんは再び森に立ち返ります。
「このジンやウイスキーを通せば、トレッキングで山に入らなくても野沢温泉の森を感じられると思うんです。僕は今、森を守るNPO法人にも関わっているのですが、人手もお金も足りなくて、森の整理が追いつかない。10年後、20年後にそういう部分まで蒸留所と一緒にできたら、本当に素晴らしいと思います」

その根底にあるのは、この村の暮らしへの深い理解です。
温泉宿は温泉が、スキー場は雪が、そして蒸留所は水がなければ成り立たない。
野沢温泉は、ほぼすべてを自然に負って生きている。
だからこそ蒸留所も旅館もスキー場も手を組んで、この村の自然を後世へ残していければ良い、と河野さんは語ります。
「15年後、あの仲間と…」未来に向けた再会の約束となるウイスキー

奥様と健児さん
最後に、まだ樽の中で眠る最初のシングルモルトを、誰と、どんなシーンで飲んでみたいか尋ねました。
まだそのウイスキーを口にしていない河野さんが、その一杯を思い描く表情は少しだけほころんでいました。
「まずは、妻と飲んでみたいですね。子供はまだ飲めないので。それから、道祖神祭りを一緒にやって、樽を詰めた同級生たち。15年後には、この17年ものが飲めるよ、と」

同級生の仲間たちと
そして、こう続けて笑いました。
「僕の同級生、酒を飲みすぎたりタバコを吸いすぎたりで、15年後に何人生きているか、というくらいなんです。だから『ちゃんとウイスキーを飲んで、あと15年はちゃんと生きようよ』って話をしながら飲めたら、面白いですね」
時間をかけて熟成するウイスキーは、その一杯にたどり着くまでの歳月ごと、味わうものなのかもしれません。
今日の雪が50年後の水になるこの村で、ひと樽のウイスキーが、世代を、仲間を、そして人と自然を、静かに結んでいく。
野沢温泉から生まれる最初のシングルモルトは、その物語の、確かなはじまりの一滴です。
(Photo:Jun Yamagishi)