「美しくなくていい」——日本ウイスキーの常識を疑うオングレインの衝撃。

世界最高峰の品評会「ワールド・ジン・アワード」で最高位の金賞を受賞するなど、揺るぎない評価を築いてきた野沢温泉蒸留所(Nozawa Onsen Distillery)。
しかし、私たちの旅はジンだけにとどまりません。
村の中心に佇む元缶詰工場の蒸留所では今、もう一つの琥珀色の物語が静かに、しかし大胆に進行しています。それが「ウイスキー」です。

連載第1回では蒸留所の背景にある「循環」の哲学を、第2回ではジンに込めた緻密な物語をお届けしました。第3回となる今回のテーマは、ウイスキー。
「ジャパニーズウイスキーの名前を汚すな」とまで言われながら、なぜ私たちは日本ではほとんど例のない製法へと舵を切ったのか。蒸留責任者のサム(ヨネダ・イサム)が、その挑戦の核心を語ります。
すべては「夢の話」から始まった。村の真ん中にある蒸留所という奇跡

私たちのウイスキー造りは、ある一軒のバーでの会話から始まりました。
「親会社はもともとレストランやバーを経営しているのですが、その中の一つに、ジャパニーズジンとジャパニーズウイスキーしか置いていないバーがあるんです。取締役のデイビッドとブラッドリー2人が『いつか自分たちの手で、こんなお酒を造れたらいいな』と話していたのだそう。最初は本当に、夢の話だったんです」
その夢を現実へと動かしたのは、「一風変わった面白い」メンバーでした。
野沢温泉を愛してやまない日本人マーケター、オーストラリアでワイナリーを営むトニー&ブライオニーなどお酒造りの知見を持つ仲間や、ファイナンスに明るい仲間。共通していたのは、全員が大の酒好きだったということです。
「いろんな縁が重なって、立ち上げられるメンバーが自然と集まったんです。最初から、私たちが造りたかったのはウイスキーでした」
時を同じくして、村の中心部にあった大きな元缶詰工場の空き家を引き継ぐという話が浮かび上がりました。

(写真:缶詰工場だったころの建物)

(写真:現在、野沢温泉蒸留所に生まれ変わった建物)
「村や街のど真ん中に蒸留所があるなんて、世界的に見てもなかなかありません。でも、ここなら村のシンボルになれる。そう直感しました」
人、そして村の真ん中にあるシンボリックな物件との運命的な出会いからスタートした野沢温泉蒸留所。ウイスキーづくりの前に、クラフトジンを造っていたのにも理由があります。
「ジンはこの村を表現するのに一番ふさわしいお酒。そして何より、先にこの『野沢温泉蒸留所』というブランドそのものを作りたかったんです。まずは、その土地のボタニカルなどを使用した野沢温泉村らしいジンをつくることで、蒸溜所のコンセプトを皆さんに知ってもらうことにしました」
「本物の土」を蒸留しようとした。野沢温泉蒸留所が追求する“究極のテロワール”とは? – Nozawa Onsen Distillery
なぜ「ウイスキー」なのか。湯治場の土地が宿す、お酒との深い繋がり

さらに、蒸留所設立を目標としていたチームにはもう1つ切実な思いがありました。それは、いわゆる村の“夏枯れ”問題を解消すること。
「冬は世界中からスキーヤーが集まりますが、夏になると、どうしても観光の目玉となるものがなくなってしまう。それが村の長年の悩みでした。親会社はもともとホスピタリティと観光関連の会社ですから、夏も人が訪れる目的地として、そして通年で人が働ける仕事を作りたいという思いがあったんです」
蒸留所が、クラフトジンが、ウイスキーが、夏の野沢温泉村の新たな目玉になる。それは単なるお酒造りを超えた、村全体への眼差しから生まれた挑戦でした。
昔から湯治場として人々が癒しを求めて訪れてきた、特別な観光地。そしてウイスキーは、数あるお酒の中でも「土地との繋がり」が最も色濃く反映されるお酒だと言われています。50年の歳月をかけて磨かれる清冽な水、温泉文化、昔ながらの村の暮らし、そして裏山に広がる豊かな自然。
観光地でありながらお酒造りに最適な環境が揃ったこの場所は、ウイスキーを生むのにこれ以上ない舞台なのです。
日本で“触れられなかった聖域”に挑む。常識を覆す“オングレイン”という選択


ウイスキーに使える原料は、穀物と酵母と水だけ。極めて限られた素材で、いかに「この土地の味」を表現するか——。それが私たちの出発点でした。
「正直に言うと、立ち上げメンバーの6人が集まった当初、どんなウイスキーを造りたいかは、まだはっきりとは分かっていませんでした。だからまず、いろんな蒸留器のメーカーに問い合わせたんです」
日本で流通する蒸留器のほとんどは、スコッチ造りに特化したものばかり。そんな中で出会ったのが、ドイツ・カール社の蒸留器です。
「バーボンも、スコッチも造れる。いろんなオプションを残しておける、非常に柔軟性の高い機械でした。私たちは世界中からアイデアを持ち寄るインターナショナルなチームですから、ちょうどいいと思ったんです」


ただし、その機械のメインは「オングレイン」という製法に向けたものでした。これは、日本ではまずあり得ないと言われる仕込み方法。通常、麦汁は完全に濾過し、澄んだ液体だけをタンクや蒸留器へ送ります。けれどオングレインは、大麦麦芽の粕を濾過せず、穀物の粒子を含んだまま仕込むのです。
この挑戦に対し、周囲の反応は決して温かいものばかりではありませんでした。
「いろんな先生に『そんな方法では絶対に美味しいモルトウイスキーは造れない』と言われました。『ジャパニーズウイスキーの名前を汚すことはするなよ』とまで言われたこともあります」
スコッチ系のジャパニーズウイスキーを学んできた経歴を持つサム自身、最初は戸惑いもあったといいます。それでも前へ進めたのは、世界を見渡せば答えがあったからでした。
「海外のいろんな蒸留所を見ると、本当に様々な仕込み方法をやっているんです。みんなが同じものを造っていても面白くない。だから『オングレインを試してみよう』と。もちろん、濾過する『オフグレイン』も造れるよう、マッシュフィルターも導入して、両方の選択肢を残しました」
この姿勢の根底にあるのは、業界の若い世代へのメッセージです。
「日本のウイスキー業界、特に若い人たちに、もっといろんな可能性を見てほしい。ちょっと勇気を出せば、面白いものが造れるんだよ、と。野沢温泉村も、伝統を守りながら、若い世代が外で見てきた新しいアイデアを持ち帰って表現している村です。私たちもウイスキーで、同じことをしているのだと思います」
「こんなに穀物感のあるウイスキーは飲んだことがない」。原点に還る一杯

経験者がいない中での挑戦は試行錯誤の連続でしたが、完成しつつある原酒を口にしたとき、私たち自身が驚きを隠せませんでした。
「こんなに穀物感を持っているウイスキーは、飲んだことがありませんでした。ジャパニーズウイスキーは基本的に、綺麗でフローラル、フルーティーな味わい。でもこれは違う。オングレインで造ると、自然に甘みが出てくるし、骨格がしっかりしていて、何の味なのかがすごくはっきり分かる。素材の特徴が、とても出やすいんです。」
面白いのは、おそらくオングレインは人類が一番最初にウイスキーを造っていた頃と同じだということ。特別な機械もなく、そのまま仕込んで、同じ容器で発酵させて蒸留する。昔のウイスキーは、こんな味だったのかもしれない——そんな“ウイスキーの原点”に近いものを、想像してしまう味わいに「すべてのウイスキーが、綺麗である必要はない」という気持ちにさせられます。
ちなみに、特定のブランドをベンチマークにすることは、あえてしませんでした。
「なにかを『本物のウイスキー』だと決めて、無理やりそれに近づけることはしたくなかった。この設備で何が造れるか、という発想から始めました。個人的にはコーン、ライ、小麦と、いろんな穀物を使うバーボンの穀物そのものの味にずっと興味があったんです。そんな私のフィロソフィーも、どこかに入っているのかもしれませんね」
水から逆算する設計。野沢温泉村だからこそのウイスキー造り


野沢温泉村の「超軟水」は、ジン同様、ウイスキーにとっても財産です。けれど、その活かし方には繊細な工夫が求められました。
「水は、蒸留後の加水(割り水)としては本当に素晴らしい。原酒の味を邪魔せず、口当たりをスムーズにしてくれます。ただ正直に言うと、仕込み水としては、糖化や発酵にはあまり向いていないんです。発酵の工程である程度のミネラルがないと、酵母が健康的に働けない。この水はミネラルが少ないので、酵母がストレスを感じてしまうんですね」
そこで私たちは、水の個性から逆算して、他の工程を調整していきました。鍵となったのが「発酵温度」です。
通常のジャパニーズやスコッチウイスキーの発酵温度は30〜32度。しかし、野沢温泉蒸留所では23〜25度という異例の低温発酵を取り入れました。温度を低く抑えることで、酵母のストレスを和らげるのです。さらに、一般的なウイスキー酵母だけでなく「ビール酵母」など、計4種類の酵母を実験的に組み合わせました。
「アルコールを造る能力が高いウイスキー酵母と、エステル(華やかな香り成分)を造るビール酵母。このバランスを整えたことで、水の弱点を完全にカバーする深い味わいが生まれました」

熟成環境についても、野沢温泉ならではの気候が味を仕上げています。当初は雪深い北信の気候から『熟成が遅くなるのでは』と予想していましたが、良い意味で裏切られました。夏は30度を超え、冬はマイナスまで冷え込む野沢温泉村の激しい寒暖差が、熟成を加速させていたのです。
そして、最も大切になるのが“環境が仕上げる”ウイスキーの味。標高や気圧など、数値でみられる変化も重要ながら、土着の味わいがどのようになるかという点が大切だとサムは話します。
「森の中で熟成していたら、森の香り・土の香りが。海の近くなら少し塩っぽい香りや味わいといったように、その環境がウイスキーの味を仕上げます。この野沢温泉村ならではの味わいがどのようなものになるのかは、もう少し先にはっきりしていくと思いますね」
2つの製法をブレンドし、火祭りのエネルギーを宿す

オングレインとオフグレイン。2つの製法を持ったことが、味づくりに大きな自由をもたらしました。
「本当に、2つの仕込み方法で造ってよかったと思います。味の調整がすごく細かくできる。年内に発売予定の最初の1本は、この2つをブレンドしたものになる予定です。オングレインの力強い穀物感をベースに、オフグレインの綺麗でフローラルな香りを重ねていく。将来的には、オングレインとオフグレインそれぞれのシングルも出したいですね」
そして、村の魂である「道祖神祭り」との繋がりも、ウイスキーに宿ります。
「火祭りの激しさやエネルギーは、ウイスキーで表現できていると思います。特にオングレインは“アップフロント”——勇気を持って前に出るような印象がある。一番強く繋がっているのは、25歳の厄年の若者が樽を詰めて、42歳の厄年でその樽を開けるというプロジェクトです。時間が経つのを我慢し、世代を渡って味わう。これまで3回詰めてきましたが、若者たちは『こんな計画があるんですか!』と、すごく喜んでくれるんですよ」
ジャパニーズウイスキーの裾野を広げる。歴史に残る蒸留所を目指して

まだ発売前。それでも私たちが見据える未来は、はっきりとしています。
「個人的には、ジャパニーズウイスキーの裾野を広げる存在になりたい。みんながいろいろ挑戦して面白いウイスキーを造って、その手伝いを私たちができたら最高です。いつかウイスキーの歴史を記した百科事典のようなものができるなら、そこに私たちの名前が載っていてほしい。そして、ジンがすでに村の魅力を世界に届けているように、ウイスキーでも野沢温泉村のアイデンティティを世界中に伝えたいんです」
最後に、サムが思い描く“理想の瞬間”を尋ねました。
「バーで『何か特別なウイスキーはありますか?』と聞かれたとき、私たちのウイスキーが出される——そんな光景が見られたら嬉しいです。ウイスキーファンや、ウイスキーを愛する方々にも、『こういう方法でやると、こうなる』と学びになるような、そんな影響を与えられたらと思っています」
「美しくなくてもいい」。
その言葉は、決して妥協の宣言ではありません。綺麗に整えることだけが正解ではないと信じ、原点に立ち返りながら、誰も歩まなかった道を切り拓いていく。それは、伝統を守りながら新しい感性を受け入れてきた野沢温泉村そのものの姿と、見事に重なります。
ジャパニーズウイスキーの常識に静かな問いを投げかける、野沢温泉蒸留所の琥珀色の挑戦。
その第一滴が世に放たれる日を、ぜひ楽しみにしていてください。